藤井四段とモンテッソーリ教育について思うこと

このところ将棋の藤井四段の報道を見ない日はありません。
そして藤井四段が受けていたモンテッソーリ教育にも注目が集まっています。

報道を見たママパパたちも、何だそれ?といろめきたっているようで、先日も友人から「うちもモンテッソーリ教育を取り入れて天才育てよ!」といったメッセージが届きました。

モンテッソーリ教育が認知され広まるのは大歓迎です。
でも、どうも勘違いされて伝わっているんじゃないかと、ちょっと心配です。

モンテッソーリ教育は天才をポコポコ生みだす魔法ではありません。
特別な才能が子供の中に突然ムクムクと育ったりはしません。

「待ってよ、GoogleやAmazonの創業者もモンテッソーリ教育を受けて育ったんでしょ?」と言う話もありますが、欧米ではモンテッソーリ教育はとくに珍しくないようです。

つまり、モンテッソーリ教育で育った人の数もそれなりにいるわけで、その中から天才が現れたとしても割合としてはびっくりするようなものではないはずです。

それでもモンテッソーリ教育はすばらしいと思います。

天才を生み出すという表現は違うとしても、子供が本来持っている才能を伸ばしやすい教育だと言っても問題ないはずです。

才能開発という言葉があります。

パッと聞いた印象は怪しいですが、資源開発、テクノロジー開発と同じで、もともとそこにあったけど有効利用されていなかったものを引き出したり組み合わせたりして新しい価値を生み出すこと、と考えると怪しくなくなります。

才能はもともと子供の中に眠っているもので、突然他から授かるようなものではない。

モンテッソーリ教育も才能開発です。
その他の、ちょっと怪しい教育メソッド(IQ◯◯◯になっちゃうよとか、聞くだけでペラペラなるよとか)もやろうとしているのは才能開発です。

モンテッソーリ教育も、ちょっと怪しい教育メソッドも、両方ともそれなりに実践してきた身からすると、子供の成長や才能を伸ばすことに対する大人手の差し伸べ方が両者は真逆に見えます。

あくまで主観ですが、私はこういうイメージを持っています。

怪しいメソッドの多くは、上からひっぱる力が強い。無理やりつまんで引っぱり上げようとするイメージ。大人の都合で、あっちこっちひっぱられて大迷惑。

モンテッソーリ教育は、下から支える感じ。
子供が自分で伸びていこうとするのを支え、余計なことをしない。やさしく包み込む。

藤井四段のお母様のコメントで、子供が集中しているときには邪魔をしないというのがありましたが、まさにそれですね。

モンテッソーリ教育は、子供が自分の才能を伸ばしやすい教育です。
同時に、大人が子供の才能をつぶさない教育とも言えます。
決して天才を作り出すための教育ではありません。

そもそも親と子にとっての教育って天才をつくるのがゴールではなく、子供が自立して幸せな人生を送るのが目標だと思います。

報道では、見慣れないモンテッソーリ教具など特徴的な部分ばかりが強調されているようですが、モンテッソーリ教育の本質は、親として大人として理想的な(そしてよくよく考えれば当たり前ともいえる)子供との接し方にあると感じます。

子供の自主性を大切にし邪魔をしない。親として大人として、いつでもこれを思い出して実践したいものです。